自分の存在を認めるのは、自分です。どこまでいっても自分です。
とはいえ私たちは、一人では生きていません。
なので自分以外の人を使って自分の存在を確かめたくなるときがあります。
見てほしい、認めてほしい、わかってほしい、知ってほしい。。。
それを面と向かって言葉にしているのであれば、健康的です。
しかし言葉にしなくてもわかってほしい なんていう魔法?みたいなことを考え出すと危ないです。
私たちは、話したところですべてが伝わるわけではありません。
ということは、話さなければわかるはずもありません。
それでもわかってほしくて、言語化せずに態度で表し始めます。
ゆがんだかたちで。健康でないかたちで。
ただ相手に認めてほしいというだけなのに、相手を苦しめ始めます。
当然ゆがんだ健康でないもので表現されたら見たくないし、認めたくもなくなります。そして見なくなる。認めてほしい表現者としては、望まないことを引き起こします。
そして健康でないかたちは、自分の心身思考を蝕み、自分を痛めつけていきます。
認めてほしいのであれば、訊いたらいいのです。
「どうすれば認めてもらえますか?」と。
人によって基準が違う。同じ人でもその時、その場面において基準が変わりますから。
そして最も大切なことは、自分を認めるのは自分です。どこまでいっても自分だということです。