「ピーマン嫌い!食べたくない!」と子どもが言ったらあなたはどう思いますか?
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嫌いなんて言ってはダメ
このまま好き嫌いがたくさん出てくるじゃないかしら
何とか食べさせなきゃ
こんなことを考える人もいることだと思います。そして工夫をして食べさせようとしたり、何度も食卓に出して無理やり食べさせようとしたり。
「身体にいいから食べなさい」と言われても、口の中で苦味があって安全ではないにもかかわらず、食べないと怒られるので食べるという自己犠牲が始まります。そして食べると褒められる。
こうして望むことに焦点を当てることはダメなことで、望まないことに焦点をあて克服すると認められるというプログラムができあがります。
ピーマンは嫌いなのに、嫌いと言ったことが否定され、理解されずそうして嫌いと言った自分を否定し始めることになり、自己承認できなくなっていきます。
何のために望まないことに焦点を当てさせるのか。
未来を見て、どのように育ってほしいと考えているのか。
それは望まないことに焦点を当てることで望む状態になるのか。
一貫性が通っているのか。
好きになってもらう行動を取ったのか。
自分の指示に従わなかった行動に不安や不満を抱き、自分の指示に従わそうと、もししているのであれば、それは育む相手のためではなく、指示を出した自分の存在価値を認めさせるというためであり、自分の存在価値を認められてないという恐れが課題です。
真に相手を豊かに育むために自分は行動しているのか?
好き嫌いが問題なのではなく、主張を否定していることが問題であることに気づくことは大切なことです。
子育ても組織における人育ても同じことです。人を育む心のしくみを学ぶことは大切なことです。